僻南のまほろばを歩く

佐伯地方は宝の山と海、本当のまほろばはここにある。

佐伯人の尊い心性

2023.02.13

 我が仲間による佐伯地方の稜線踏破の完遂が目前に迫ってきた。佐伯市の境界線は稜線が連なって出来ている。この地方の地勢的特徴でもある。山稜の標高は平均して500mには及ばないだろう。稜線のほとんどに道がなく、しかもその多くが低山であるが故に樹林と藪が密集し進むに難渋することは必須である。だからその植生が増殖する夏場に挑むことは諦めざるを得ない。踏破行は限られた休日を利用する。だから3年目に突入したのである。完遂すれば踏破距離は150Kmに達することになる。率直にその偉業をたたえざるを得ない。(URL:YAMAP「多分、風」)

 当人にはそんな意識は毛頭ない。淡々としていて自ら設定した目標を達成したいだけのことである。大したことをやっている意識は皆無である。そこが好ましい。

 かつてこの地を訪れた伊能忠敬並みという気はないが、自ら歩いて佐伯地方の地図を描いているのである。これだけの時間があれば各地の名峰を旅してもいいのである。そうせず佐伯地方の山々に執着している。そこがいい。それはもう「故郷への愛の表現」といっていい。

 稜線上には数々のこの地方の歴史(合戦)や民俗(峠越)も刻まれている。その痕跡も残っている。これらは今、全くといっていいほど振り返られることはない。彼が道を刻む毎に知らずそれを掘り起こしてくれているのである。

 このまま誰知らずこの踏破行を終了させていいものだろうか。せめてその行為を佐伯市として公式の記録にとどめてやるべきではなかろうか。メディアの取材ネタとしても一級のものだと思うのである。「自然賛歌」というものである。(URL:YAMAP「多分、風」)

 実はもう一人、先輩仲間がいる。彼はまさに廃れ消え行く佐伯地方の歴史民俗(峠越)の痕跡を記録すべく稜線に分け入っている。今やそれは貴重な歴史記録になりつつある。彼の行為も同じである。この地に刻まれた歴史民俗をただ愛しく思う気持ちによっている。この地に育ててもらったことへの「感謝」ということでもあろう。(URL:Ameba「宇目郷温故知新録」)

 こういう地元の人々の地元に腰を据えた無垢の行為を拾い上げ共有することが、広く佐伯地方の自然や歴史を心から愛する意識の向上に繋がると思うのである。無垢の行為ほど共感を呼ぶものはない。行政はもっとそういう表に見えてこない人々の生き様を拾い上げることにも力を注いでいいのである。それは佐伯地方(佐伯人)に連綿と伝承されてきた「尊い心性」でもあろう。その余光を消してはならない。