
仲間と鶴見半島のシシ垣のフィールドワークに着手した。前回は梶寄浦、今回は中越浦を囲うシシ垣を対象にした。半島にはシシ垣を観察出来る遊歩道が先端と中程の二ヶ所に整備されているがその全貌を知るには不十分である。


1973年に安部弥右衛門氏が半島のシシ垣に関する地図付きの記録を残している。地図に関しては思い出しながらの手書き地図なので正確性を欠いているが、位置や特徴を記しているのでシシ垣調査には知る限り唯一の資料である。地元の方々にお聞きしても殆どその記憶に乏しい。その意味ではフィールドワークは未踏のシシ垣探検隊になったかのような高揚感がある。

シシ垣は各集落(浦)を囲っている。沈降海岸(リアス式海岸)なので築かれたシシ垣の尾根から海岸に至る斜度が大きく滑落のリスクが付き纏うのが障害である。それにしてもよく築いたものである。


尾根にある遊歩道が途切れる辺りから足を踏み入れた。昔の里道(公道)だったところである。シシ垣沿いに何とか歩く事は出来る。やがて上りの尾根のピークに達し、シシ垣は尾根から海岸へ下降し始める。逡巡する瞬間である。梶寄浦では谷底に落ち込むような急傾斜でシシ垣の多くは崩落していた。登り返すのを断念させる程の斜度がありシシ垣沿いの渓谷は大石が埋め尽くしていた。


今回も斜度は同じようなものであったが、地盤の相違であろうか、シシ垣の崩落ケ所は少なく比較的よく保存されていた。地図では途中でトラバースするように西側に伸びている。谷を下っていくと谷裾が広がって来て西に向かうシシ垣を探せない。突然、右岸に段々畑の石垣が圧倒するように視界に迫って来た。




そうなのだ。シシ垣の本来の目的は段々畑を害獣から守る事にある。段々畑の石垣の壮大さはシシ垣の比ではないのだ。これほど壮観な石垣は滅多にお目にかかれない。そうこうしていると偶然にも左岸にシシ垣の端を見つけた。確信に近い思いがある。いつでも困った時には何者かが助けてくれるように道が開かれるのである。今回もそうであった。



何とシシ垣は三つの谷を横断して延々と伸びていた。谷を渡る毎に更に圧倒的な段々畑が傾斜地から睥睨してくるのである。いずれの谷も大石で埋め尽くされていた。その谷筋に護岸するかのように堅牢に段々畑が石積みされていた。人智を超えた造形としか言いようがない。樹間に白く光輝く石垣は何かを訴えてくるようで、まるで神域でもあるかのような荘厳な雰囲気を宿していた。


これを囲うシシ垣もまた素晴らしい。尾根上にあるシシ垣の積み方と異なっているように見える。この傾斜地に崩落する事もなく二百年近く立ち続けてきたのである。その築造技術には感嘆せざるを得ない。やがて海岸尾根の突端に至りシシ垣は尽きた。疑問が起きた。このトラバースするシシ垣は段々畑の最下段を守っているようなのだ。上側に段々畑が広がっていたのは何故なのだろう。地図では更に上にシシ垣があるように思えない。今回、調査できなかった課題である。
突端から尾根を伝い登りスカイラインまで出て出発点まで戻った。
かつてはこの傾斜地に樹木は一切無く、ただ段々畑だけが一面を覆い尽くしていたのだ。視界を妨げるものさえなく目の前に広大な海が広がって見えたのだ。豊後水道の向こうには手に取るように四国の山嶺が見えたのだ。ここを歩けば、誰しもがその時代にこの地に立ってみたい衝動を抑え難くなるだろう。
稀有なる生活遺構を実体験する事が出来て幸福感に満たされた日であった。それでもまだ半分も調査していない。次回のフィールドワークを思うとアドレナリンとドーパミンが溢れ出てくるようだ。

了