

小川川が番匠川にそそぐところに浜後井路取水口がある。小川集落へはここから名峰米花山を右手に仰ぎながら延々と渓谷を登っていく。昔は橋もなく川沿いの道も飛び石伝いであったと聞く。人々は旧中野村にあっても山越えをして隣村の旧直川村に出た。この長い渓谷には武士が落住し、最奥部は平家集落と伝わる。地名も屋敷ノ原、番ノ原、岩屋など特徴的である。

この渓谷は庚申塔の宝庫である。苣ノ木、番ノ原、岩屋の各集落の入口に庚申塔群が待っている。いずれも青面金剛と猿田彦命(山崎闇斎の神道の影響)の神仏が混淆していて青面金剛の刻像が見事である。

番ノ原の観音庵(63番)脇に三十三観音(三十三体)がある。庵前には大乗妙典一字一石塔、側には希少な宝塔(平安末期)と一石五輪塔が立っている。近くには各集落(屋敷ノ原、岡、苣ノ木)のお宮を合祀した天神社があり、境内の杉の巨木(樹齢500年超)は火災で今は洞(うろ)になっている。岩屋の入口の庚申塔群の側にも佐伯に二本の古木といわれた巨木が立っていたらしいが倒木して今はない。この日、天神社では宮神楽を奉納していた。この里には杖踊りに加え、非常に風雅な舞である稚児舞も奉納していたらしいが既に途絶えている。


平家の落人集落とも伝わる岩屋集落(上方より戸高孫治郎が棲みつく)の旧道脇に崩落気味に何体かの地蔵尊(六地蔵か)が立っている。その坂を登ったところに天神社がある。右隣は庵跡のようで6体の仏像が今でも鎮座している。国木田独歩が二度通った銚子八景への入口に当たる。独歩は三股越から苣ノ木に下りて道すがら庚申塔群を見ながらここまで歩いて来た。古木も未だ残っていてあんぐりと見上げたかもしれない。

銚子八景を過ぎて更に奥に芹集落があった。途中で川を挟んで道は三方向に分かれる。右手に進むと落人とも信仰者とも伝わる玄貞の屋敷があった。屋敷跡には五輪塔が今も残る。川に架かった牛の頭橋を渡り真ん中の道を延々と進むと大きな岩の側に牛の頭大明神がある。平家の平光世、光圀兄弟が落ち延びて行った谷筋で、乗って来た牛の首をここで刎ねた。兄弟は川又越から尾根を通り芹に下りてこの谷筋を遡行し因尾に出た。芹に下りる手前に船恋峠がある。光圀が船が恋しいと落涙したと伝わる峠である(今回、牛の頭大明神、五輪塔、船恋峠に至らず)。

銚子八景は管理が及ばず滝壺へは久しく通行止めである。その滝壺の上に龍王様と石槌様と金毘羅様を祀っているらしい。渓谷は実に深く、変化に富む光景(甌穴、淵、滝)を楽しめる。何しろ国木田独歩が日帰りで二度までも来た。米花山を取り囲むように刻まれた渓谷は紅葉が彩を加える季節にある。

了
