僻南のまほろばを歩く

佐伯地方は宝の山と海、本当のまほろばはここにある。

月は東に日は西に(運転疲労と退屈疲労と)

 憲政史上初の女性宰相が誕生した日に佐伯の実家から横浜の自宅へと車で出発した。今は実家に滞在する時間の方が長い。実家滞在中は自家用車が不可欠である。だから往復は自家用車で移動せざるを得ない。年々歳々段々と長距離運転が辛く感じるようになって来た。ならば車は実家においたままでいいではないか、という意見があって当然である。まだ踏ん切りがつかない。

 移動には二つの選択肢がある。大分から神戸までフェリーで渡りそこから高速道路で自宅に帰る。門司港まで高速道路を走ってフェリーで横須賀まで渡って帰る。選択のポイントは前者なら運転疲労と運転リスク、後者なら洋上での退屈疲労に加え、往復の移動方向を考慮する必要がある。前者の場合は往復いずれもさして大差はない。寝ていればフェリーは早朝に入港する。気分爽快で一日が始まる。後者の場合は目覚めても一日中船中で過ごし深夜に入港する。出来ればもう動きたくない時刻である。西方向への帰省時には、門司入港後、実家まで二、三時間の深夜運転が待っている。丸一日船中で過ごしたにしても疲れるのである。だから門司港に一泊したくなる。因みに客船とはいえ移動が主目的であるから航海中に豪華客船のようなエンターテイメントはない。

 今回は数ヶ月前に帰省したばかりであるから同じ東海道を再度長時間運転する気力が湧いて来ない。よって門司港からのフェリーを選択した。

 

 この機会に中津市門司港を見物した。中津市大分県でも訪問した事のない唯一残された都市で、いつか行きたいと思っていたので好都合であった。門司港へは夕刻着となったが”門司港レトロ”と銘打った夜景が見事であった。この港から出航すればさぞかし気分がいいだろうと思ったが、実際の出航は山を超えた南側にある人気に乏しい殺伐とした港湾地区からである。

 

 船室は”狭くも思いやりのある独房”のようで、この日は”荒天にして波浪高し”で波濤が船体をズドーン、ドッカーンと打ち続け五月蝿い上に揺れに揺れた。日中、景色を楽しもうにも外洋航海だから海また海で変化がない上に、悪天で見通しが効かない。打ち寄せる波濤に見入っていても遅々として時は進まない。丸一日、読書をして過ごす訳にもいかない。インターネットも殆ど繋がらない。退屈疲労が襲って来るのは致し方ないのである。

 今回ばかりは月にも日にも無縁の航海であった。それに海の上では東も西も分かりやしない。ぞれどころか何よりもこの日は”レモン彗星”が地球にもっとも接近した日だったのだ。漆黒の洋上から見上げる彗星はさぞかし見応えがあったに違いない。退屈感も吹っ飛んだだろうに。

 人間は少々体が辛くとも退屈に比べればそちらを好むのではなかろうか。まあ一人旅という事情が一番の退屈要因かもしれない。

 下船して走る深夜の横浜は小降りで初冬の肌寒さであった。さてさて家で待つ妻の温度が気になるところ。