僻南のまほろばを歩く

佐伯地方は宝の山と海、本当のまほろばはここにある。

岬巡り

2023.07.02

 地元の友人が佐伯地方の海岸線は凡そ270kmの長さを有すると自慢する。その100km程を残し北端から始めた岬巡りを蒲江の「仙崎砲台跡」で終えた。完全踏破は間近ではあったが夕刻も迫り「海神」が海霧を発生させたのを潮時と見て岬を辞した。

 離伯が迫り友人達が別れのピクニックを提案してくれていた。梅雨前線が長きに渡り停滞中で、友が共にあれば雨中もまたよし、といつもの日曜日を選んでおいた。コース選定は自らの役目である。豊後水道を思った。遠く記憶の中に「海人族」が見えた。「海部」の民の末裔として最後はこの地方の全ての岬を巡るしかないとコース設定した。

 だからか海神はこの一日に限り、豊後水道に奇跡的な快晴を用意してくれたのだろう。仲間内に「晴れ男」の冠を確定的に許された神がかりの好日となった。

 いつもの三人組の珍道中は津久見への「鏡峠」を超えて「四浦半島」を目指す。津久見の海岸に出ると行く手に濃霧が発生していた。暖気が湿潤過ぎたのである。それでも「四浦展望台」を諦めずに目指したことが吉と出た。この絶景に今日は何が起ころうと文句を言うまいと皆が思った。空はどこまでも澄んだ青、地表に海は消えて佐賀関まで連なるいつもの岬はまさに山並みに転じ、雲海が「どうだ」と言わんばかりに視界を支配していた。

 このピクニックを「岬巡り」と銘打つと「海岸通り」がいいと友人がかつての切ない想いを歌に仮託しようとする。却下、「岬巡り」がその全てを包含している。この珍道中をモニターしていた仲間は「潮風のメロディ」ではとても似合わないと揶揄してきた。海にはかつてそれぞれの恋があった。

 展望台を降りて東洋のナポリ保戸島」の対岸にある「間元港」を目指す。ここは県下で最大の柴田姓の集住地でもある。狭隘な「間元海峡」の潮の流れを眺めていると後方で友が既に地元の人に声掛けしていた。どうしても彼の「一期一会」趣味がそうさせる。地元民が「後ろを見ろ」、振り替えると墓地がある。林立する墓碑に刻まれた名は柴田姓一色、それにしてもここまでとは、一同唖然である。檀那寺は近くの陸側にある「本教寺」ではなく眼前の保戸島の「海徳寺」である。肝腎の柴田姓ルーツは既に地元民にも分らない、だから「檀那寺にきけ」。

 今日は鮮明に豊後水道の上に浮かぶ四国の山並みと並走しつつ「蒲戸岬」を「最勝海浦」に回り込む。半島の突端では蝉の鳴き声が車中を機銃掃射してきて、兎に角、五月蠅い。ここだけは既に盛夏にあった。

 「リーフデ号」が投錨した紺青の「上浦湾」を南下する。「天海展望台」からの上浦湾も筆舌に尽くし難い。友はかつてこの高台で告白のときめきに震えた。しばらくは「海岸通り」でよしとしよう。それにしても海の色が見事である。そこには幾多の淡い恋も沈んでいるのだ。後ろ髪を振り切って一行は「ジイジの握り飯」の午餐場所を探さねばならない。日差しが尋常ではない。影を求めねば三人とも干上がり珍道中は棄権である。

 「丹賀浦砲台跡」にある展望台の「桜の園」を思い出した。高台には心地よい海風が通り抜け遠景は「佐伯五山」、眼前に「大島」の優美。もう一人のモニター仲間の表現が秀逸だ。「海と木漏れ日の美しさはブローニュの森を凌ぐ、モネならそう言うに違いない」。実は緑陰は上空からジイジの午餐を狙うトンビの襲来を防ぐ効果もあるのだ。今日は保冷剤たっぷりと鮮度も申し分ない。

 引き潮が終わる頃である。「元の間海峡」は緩やかに流れを取り戻し始めていた。激流よりは緩流が好ましい。皆、そう感じる齢に至った。ふと佐伯湾を囲む北の四浦半島の「間元」と南の鶴見半島の「元の間」の海峡名の妙を思った。それぞれの海峡を生み出している保戸島と大島は戦国期に「滝川一益」の侍大将だった「望月信房」の子息である「神崎兄弟」が移り住み拓いた。保戸島の「加茂神社」や海徳寺は兄が、大島の加茂神社や「正徳庵」は弟が建立した。何かこのあたりに関係がありそうに思えるのである。

 「鶴御崎」では突端の灯台まで行く必要はない。手前の「展望プリッジ」が全てを語ってくれる。ブリッジは半島最高峰「ワルサ山」に次ぐ高さの山頂にある。「元越山」から龍の背を思わせる尾根が延々と足下に伸びて来ているのが一目瞭然である。その脇に「米水津湾」が水墨画の世界にうたた寝中であった。眼下の青の海と白い灯台は皆のかつての恋を再燃させかねない危険をはらんだ光景であった。

 時間が押してきた。「空の地蔵尊」は諦めよう。一路、仙崎灯台跡を目指す。麓からの山道は幅広のワゴン車には過酷だ。九十九折の苔道を登れども目的地への案内板が何処にも見あたら無い。やがて仙崎の断崖側へと乗り越えた。細い道は崩落寸前で間もなく尽きた。流石に背筋が凍りつく中、そろりそろりと折り返し右往左往していると砲台跡への山路を探り当てた。

 遠く「深島」や蒲江の浦々を夕霧が被いはじめ、「入津湾」を囲む山々の上には積乱雲が鮮やかに立ち昇り、海神がそろそろ梅雨前線を呼び戻すぞと言っているようだった。断崖上に朽ち逝く三基の砲台跡を退散した。

 それにしても地元民の君らがこれら数々の絶景に初めて立ち会ったと感動するのは頂けないことだ。素晴らしい宝物を見逃して生きてきたと言っているようなものではないか。

 さらば海部の人々、深く愛せ、ふるさとの山野河海。そこには神々が宿っている。間違いない。